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東京地方裁判所 昭和32年(行)85号 判決 1965年2月26日

原告 上野春夫

被告 労働保険審査会

訴訟代理人 斎藤健 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

一、当事者双方の求める裁判

原告代理人は、「阿倍野労働基準監督署長の昭和三一年二月二一日原告に対する障害補償費支給処分に対して、原告からなされた再審査請求につき、被告が昭和三二年三月三〇日にした裁決は、これを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告代理人は、主文同旨の判決を求めた。

二、当事者間に争のない事実

(一)  原告は、大阪市住吉区北加賀屋町所在株式会社名村造船所にこう鋲工として勤務し、昭和二七年八月二五日同会社事業場内の馬来丸三番艙内において就労中、落下したハツチビームに当つて業務上負傷した。

(二)  そこで、原告は即日財団法人住之江病院(同市所在)において受診し、「右顔面開放性骨折、脳震盪症、右肩胛部前膊部打撲擦過傷、背部腰部打撲傷、第一腰椎圧迫骨折」と診断され、同日から同年一〇月三日まで同病院入院加療をうけ翌四日国立舞鶴病院(舞鶴市所在)に転医し、「第九、一〇、一一胸椎圧迫骨折、右上腕骨頭骨折、右棘上筋断裂、顔面打撲症」と診断され、昭和二八年五月一五日まで入院加療をうけ、さらに同年六月二三日大阪大学医学部付属病院に転医し「右肩胛骨骨折、右顔面開放性骨折、第九、一〇胸椎骨折」と診断され、同年一〇月三〇日まで通院加療をうけた。阿倍野労働基準監督署長は、同日治癒として療養の給付及び休業補償費の支給を打ち切つた。

(三)  原告は、同年一二月一一日同署長に対し、障害補償費を請求し、同署長は同月二四日、原告の障害は労働者災害補償保険法(以上「法」という。)施行規則(以下「規則」という。)別表第一身体障害等級(以下「障害等級」という)第六級に該当するものとしてその等級に基く障害補償費金四五二、五九八円を支給する旨決定したが、その後原告が温泉療養を希望したところから、その要否について大阪赤十字病院外科医長硲文雄等の意見を徴して検討のうえ、昭和二九年一月二六日右決定を取消し、再治療を認めた。

(四)  そこで原告は、同月一月四日国立舞鶴病院に再び入院、翌三〇年二月一八日から三月一日まで厚生年金玉造整形外科病院において温泉療養をうけながら二月二六日から三月六日まで松江赤十字病院において受診し、さらに同月八日から九月三〇日まで上記舞鶴病院に通院加療した。

(五)  同署長は、医師の意見等に基き、症状は既に固定しているものと判断し、同年九月一七日原告に対し障害補償費請求の手続をとるよう勧告し、同月三〇日まで療養の給付及び休業補償費の支給を続けた。

(六)  同署長は、原告が同年一一月三〇日にした障害補償費の請求に対して、昭和三一年二月二一日原告の残存障害等級第八級の二(せき柱に運動障害を残すもの)第八級の三(神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの)及び第八級の七(一上肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの)に該当するものと認め、規則第一五条第三項により第六級に繰り上げ、該等級に基く障害補償費(前記同額)を支給する旨決定(以下「本件処分」という。)した。

(七)  ところが、原告はこれを不服として右第八級の二を第六級の四とし、併合して第四級とすべき旨大阪労働基準局保険審査官に対して審査の請求をなし、同審査官は同年五月二八日これを棄却する旨の決定をした。

(八)  原告はさらに被告に対して再審査の請求をしたが、被告は昭和三二年三月三〇日請求を棄却する旨の裁決をし、原告は同年四月一九日右裁決書謄本の送付を受けた。

三、争点

〔一〕原告の主張

(一)  原告の障害状態は、本件処分当時固定しておらず、現在なお治療によつて軽滅又は治癒する見込みが十分あるから法第一二条第二項、労働基準法第七七条の障害補償事由「業務上負傷し、又は疵病にかかり、なおつたとき」に該当せず、原告は、ひきつづき療養補償及び休業補償を支給さるべきものである。

(二)  かりに、右の障害補償事由に該当するとしても、本件処分が原告の残存障害のうちせき柱の障害程度について障害等級第八級の二と認定したのは誤りで、右の障害程度は第六級の四(せき柱に著しい奇形又は運動障害を残すもの)に該当するものであるから、結局併合繰り上げにより原告は、第四級に基く障害補償費の支給を受けるべきものである。

(三)  したがつて、本件処分を正当と認めた被告の裁決は違法として取消されなければならない。

〔二〕被告の主張

(一)  原告の症状がその主張するようにいまだ固定せず、医学的治療効果の期待できる状態にあるとすれば、原告はそれを理由に療養の給付又は同補償費ないし休業補償費の支給を求めてまず当該給付に関する処分を受け、それに不服があれば法第三五条の規定による救済を経るべきであつて、この手続を経ることなく、直ちに右理由で障害補償費の支給決定を争うことは許されない。けだし、右決定は、治癒を前提とする受給権者の障害補償の申請に基き残存障害の有無及び程度を認定し、それに相当する補償額を決する段階だからである。

(二)  本件処分当時における原告の症状は、せき柱及び右上腕の運動障害と神経系統の機能障害に大別されるが、それが固定していることは勿論、その障害等級による評価も妥当である。

すなわち、

(せき柱の障害状況について)

せき柱の障害についてはその程度により障害等級表において、第六級の四(せき柱に著しい奇形又は運動障害を残すもの)、第八級の二(せき柱に運動障害を残すもの)及び第一一級の五(せき柱に奇形を残すもの)の区別がある。「せき柱に著しい奇形を残すもの」とは、骨折脱臼等によりせき柱に生じた変形が衣服を着用しても外部からこれを想見しうる程度に顕著な場合を指し、単に「せき柱に奇形を残すもの」とは、衣服着用時には殆ど外部からこれを想見しえず、裸体となり、またはレントゲン写真によつてはじめてこれを発見しうる程度のものを指す。また、「せき柱に著しい運動障害を残すもの」とは正常体に比しその運動領域が甚しく制限されている場合、すなわち、躯幹運動の範囲が生理的運動範囲の二分の一以上を制限されている場合を指し、この程度に至らぬものは単に「せき柱に運動障害を残すもの」に当る。原告の場合、胸椎圧迫骨折後遺症により、レントゲン所見で第九、一〇胸椎椎体が楔状(背面を底辺とする梯形)の変形をなし、せき柱は軽度の前弯(亀背)を呈してはいるが、外観上著変なく、したがつて「せき柱に著しい奇形を残すもの」とは認められない。また、躯幹運動所見において若干の運動障害を残しているが、圧迫骨折の部位からみても(躯幹運動に最も重要なのは第一腰椎)正常人に比し運動領域が甚しく制限されているものとは認められない。躯幹運動の主要測定値(躯幹を伸直に椅坐し、前弯、後弯、側弯させた場合の垂直線と頸椎及び腰椎の両下端を結ぶ線とのなす角度)は昭和二八年五月(舞鶴病院で治癒と診断れさたとき)には前屈一三五度後屈一六七度、左側屈一六二度、右側屈一六八度であつて、右の所見を裏付けている(正常人の側定値は前屈一三〇ないし一三五度、後屈一四五ないし一五〇度、右左屈一三五ないし一四〇度)。もつとも右測定値は、その後昭和二八年一二月及び昭和三〇年九月の各測定において、やや悪化しているが、これは後述の外傷性神経症(測定時の暗示による心因性筋強直等)及びコルセツトの不要な常用(この影響は装着を止めることにより間もなく消える一時的なもの)によるもので、何ら骨折部位の器質的障害に基くものではないから、これらの測定値によることはできない。

(右上腕の障害状況について)

右肩の筋萎縮及び同肩胛関節に運動機能の障害が認められるので、同部位の障害等級中最も重い第八級の七(一上肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの)に該当すると認定した。

(神経障害について)

原告は、右に述べたせき柱及び右肩胛部の骨折並びに当初の顔面打撲傷によつて両下肢にしびれ感あり、耳鳴及び右前額部に異和感を訴え、これらが幻覚的異状感覚、心気妄想にまで発展し、いわゆる外傷性神経症を呈している。そこで神経障害の等級中最も重い第八級の三(神経系統の機能に著しい障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの)に該当すると認めた。

四、証拠<省略>

五、争点に対する当裁判所の判断

(一)  治癒の有無について

1  被告は障害補償費支給決定に対し違法理由として傷病の未治癒を主張することは許されないと云うけれども、訴訟上かかる主張を禁止した明文の規定はない。所轄庁が障害補償給付の請求を受けた場合には、法第一二条第二項、労働基準法第七七条所定の補償事由として、単に残存障害の有無・程度のみならず、業務上の傷病が「なおつた」ものかどうかについても審査することを要し)請求者の治癒の主張には拘束されない。)心、傷病が未治癒の場合には、補償事由を欠くものとして障害補償給付の決定が許されないことは、自明である。この場合請求者は未治癒を理由として別途に療養の給付等の決定を求めることができるにしても、この方法による救済の手続を尽した後でなければ当該処分に関する被告の裁決に対し右理由をもつてする出訴は許されないと解すべき根拠は、当時の法第三五条、行政事件訴訟特別法第二条の規定の趣旨からも汲みとることができない。また、別途療養の給付等の決定を求める救済手段があるとしても、論理上これと矛盾する障害補償給付決定の存在がその支障となり得ることは明らかであるから、これを排除するため、前記理由を主張して右決定を容認する裁決の取消を求める訴が直ちにその利益を欠くものとも云えない。結局、この点に関する被告の主張は、採用できない。

2  障害補償と療養補償を分別している法の趣旨から考えて、前記法条に云う業務上の傷病が「なおつたとき」とは、それが完全に治癒恢復したときを意味せず、その症状が安定してもはや医療効果が期待できない状態となつたときを指すものと解すべきところ、和気正人、名取博夫、硲文雄、渡辺健児の各証言、高橋正義の鑑定の結果及び上記証言によりいずれも成立を認められる乙第二ないし第八号証によれば、右五名はすべて医師であつて、そのいずれの診断結果によるも、原告の本件災害による負傷疾病は顔面・右肩胛ないし右前膊せき椎の三部位の外傷及び右外傷に起因する神経症にとどまるところ、原告の右傷病の症状は本件処分当時すでに安定し、もはや適切な医療方法が存しないとの意見であることが認められ、右五名のうち、とくに和気、名取は、原告の前記国立舞鶴病院における加療期間(原告受傷後本件処分までの大半の期間)中主治医として長期にわたり原告の診療に従つていた者であり、また高橋の鑑定は昭和三五年四月原告を直接診断して得た症状所見と従前の原告に対する医師らの診断・治療の経過に関する全資料とを総合検討した結果に基くものであつて、これら医師の意見は、他に首肯するに足りる反証がない限り、みだりにこれを無視することは許されない。

中島重雄(医師)の証言及び成立に争いのない甲第三号証によれば、同医師は、昭和三二年五月原告を診断した結果、右肋間及び右足の疼痛軽減のためせき椎固定術を施す必要があるとの意見であつたことが認められるけれども、前出鑑定結果、名取、渡辺の各証言、乙第三、第四号証に宗野重信(医師)の証言、右甲第三号証を総合すれば、原告のせき椎外傷部位(第九、一〇胸椎骨折)のレントゲン所見は、昭和二九年五月、三〇年一一月、三一年三月、三五年四月の各撮影時においてほとんど変化が見られないこと、従つてその症状は後記((二)2)の軽度の変形を残したまま昭和二九年五月当時すでに器質的に固定していたものと認めるのが相当であり、かように症状が固定した後にも前記のような疼痛を持続することはあり得るが、もはやせき椎固定術による治療効果は期待できないことが認められるから、右中島医師の意見は採用できない。また、上記宗野の証言及び同証言により成立を認められる甲第二号証によれば、同医師は、昭和三〇年一二月原告を診断した結果、神経症に基く愁訴軽減のためなお治療が必要であるとの意見を有することが認められるけれども、同証言によれば、同医師は外科を専門とし、右意見は外来患者としてただ一回原告を診ただけで本人の愁訴のみを判断資料としたものであることが明らかであるから、前記他の医師らの意見と対比して、たやすく採用することができない。さらに、原告本人尋問中に原告は昭和三二年五月京都府立医科大学附属医院に一五日間入院加療した旨の供述があるけれども、前記中島の証言と併せて検討すれば、右入院は診断を目的とするものであつて、右目的のための試験的措置以外に特段の治療がなされなかつたものと認められる。他に前記五名の医師の一致した意見を覆えすに足りる証拠はない。

以上によれば、本件処分当時原告の負傷疾病はすでに「なおつたもの」と認めるのが相当であり、この点について右処分に事実誤認の違法があるとはいえない。

(二)  残存障害の程度について

1  せき柱の残存障害の程度につき、本件処分においては障害等級第八級の二「せき柱に運動障害を残すもの」と認定したのに対して、原告は、第六級の四「せき柱に著しい奇形又は運動障害を残すもの」に該当するものと争うところ、証人大西清治の証言によれば、障害等級認定の行政基準として右にいう「著しい奇形」とはせき柱に生じた変形が衣服を着用しても外部からこれを想見できる程度にまで及ぶ場合を、また「著しい運動障害」とは正常体に比し躯幹運動の範囲が二分の一以下にまで制限されている場合を指す取扱いであることが認められ、規則別表第一身体障害等級表を通覧し、就中せき柱の障害に関する第六級の四、第八級の二、第一一級の五と右各級における他の身体障害の程度とを比較対照して考えると、せき柱の障害等級に関する前記認定基準は一応妥当なものと認められ、あえてこれを排斥するまでの根拠を見出し得ない。

2  そこで、右認定基準に照して原告の残存障害の程度を検討することとする。

まず、せき柱の奇形の点についてみるのに、前出鑑定結果、硲、名取渡辺の各証言、乙第五、第七号証によれば、第九、一〇胸椎に触診により発見できる程度の軽微な隆起を存するのみで外観上著変がないことが明らかであり、右認定に反する証拠はないから、上記認定基準にいう「著しい奇形」には当らないものと認められる。

次にせき柱の運動障害についてみるのに、前出鑑定結果大西証言、乙第三、第五、第八号証によれば、原告のせき柱の屈伸機能の測定値は、正常人がおよそ前屈一三〇度、後屈一五〇度であるのに比べて、左記のとおり検査時によつて異なり、最初のものは後屈機能において劣るためせき柱の運動範囲はほぼ正常の三分の二にとどまるが、最後のものはほぼ正常に近く、中間時のものは正常の二分の一を下廻る最も低い数値を示していたことが認められる。

(前屈) (後屈)

昭和二八年 五月 一三五度 一六七度

同   年一二月

同 三〇年 二月 一五五度 一七〇度

同   年 九月

同 三五年 四月 一三五度 一六〇度

ところで、せき柱の症状が昭和二九年五月当時すでに器質的に固定していたと認められることは前記((一) 2)のとおりであるが、鑑定結果、前出名取、和気、硲、渡辺の各証言、乙第二ないし第八号証を総合すれば、原告は昭和二八年末頃から顕著な外傷性神経症状を呈し、これに対して昭和三〇年九月まで種々の療法が試みられたが、治療の効果がなく、中間時における原告のせき柱運動機能低下の現象は、遅くとも昭和三〇年九月までには症状が固定したとみられる強度の神経症に起因するものであつて、せき柱の器質的障害によるものではないことを肯認するに足る。格別の反証がないので昭和三一年二月本件処分時における原告のせき柱運動機能も右中間時とほぼ同様であつたと認められるところ、昭和三五年四月当時にはその機能がほぼ正常に近いまでに回復していることは前記のとおりであるが、原告本人尋問の結果によれば、原告はその間神経症を含めてせき柱の機能障害につきなんら特段の医療を試みていないことが明らかであるから、右機能回復は時日の自然の経過によるものと認むべく、本件処分時において原告の神経症その他の症状が固定(もはや医療効果を期待し得ない)していたとの認定と矛盾するものではない。しかして、前記高橋の鑑定意見によれば、障害等級にいうせき柱の「運動障害」とはその器質的障害を意味し神経症等によるそれを含まないものとされ、右意見は、身体障害等級表においてせき柱の運動障害(第六級の四、第八級の二等)と精神・神経系統の障害(第七級の四、第八級の三等)とを区別して規定しているところからも是認することができる。そうだとすれば、原告のせき柱の運動障害については、神経症状が顕著に発現する以前の上記最初の検査時における測定値を標準として障害程度を認定するのが相当であり、これを前記認定基準に照せば障害等級六級の四の「著しい運動障害」に該当しないことは明らかである。

結局、本件処分には、残存障害の程度についても、原告が主張するような認定を誤つた違法はない。

六、結論

よつて、本件処分を正当として原告の再審査請求を棄却した被告の裁決が違法であるとしてその取消を求める本訴請求は、理由がないからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 橘喬 吉田良正 高山晨)

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